カバヤ歴史館 カバの宣伝カー

時代背景

敗戦後間もない昭和21年12月、甘味に飢えていた子どもたちにキャラメルを・・・と創設されたカバヤ食品。 人身荒廃した世の中に、子どもたちの夢と平和の象徴としてカバの名前を 社名にしました。
斬新な企画である“カバそっくりの宣伝カー”が登場したのは、昭和27年のことです。

カバの宣伝カーを造ったのは・・・

「カバそっくりの車を造って欲しい」という、びっくりするような注文を受けたのは、 岡山トヨタ自動車販売でした。もちろん発注したのはカバヤ食品です。昭和27年春に大阪で開催される「婦人こども大博覧会」(カバヤも協賛企業だった)に間に合わせたいからとの急な発注でした。

当時の販売部長・渡辺節氏は「まだカバの実物はいないし、写真を探して、確か広島の業者に鉄板を打ち出してボディを造らせたんですよ。」 と語っています。その広島の業者「第一ボディ」は、宣伝カー、図書館車、簡易霊柩車、料理講習車など手作りボディ架装の専門メーカー。 現在でもその伝統を引き継いでいますが、当時は最高の板金技術を誇る職人たちをたくさん雇って、どんな形の自動車ボディでも、道路運送車両法等に定められた「保安基準」内のものなら引き受けていました。 前代未聞のカバの宣伝カー造りは、この職人たちの手に委ねられたのでした。

時代の波に押されて、ユーモラスなカバの宣伝カーも昭和34年には姿を消しました。昭和27年から8年間の活躍でした。

カバの宣伝カー カバの宣伝カー(クリックで拡大)

カバの宣伝カー誕生まで

架装から納品までを担当した、有村行夫さん(83歳・呉市在住)のお話より

まず困ったのが、カバに関する資料不足。
戦後間もない動物園には、もちろんいない。広島大学の動物学の先生を訪ねて、上野動物園のカバの写真を見せてもらい、それをもとに仕上げました。 一番の悩みは、後ろから撮った写真がないので、尻尾の形が判らない?? 先生の知恵を拝借しこさえたのが、三味線バチの逆さ型でした。
指定は地味な灰色で口の廻りも薄いピンク色。
そして、皮膚の表面は全体に小さなブツブツを作るようにとのこと。
塗装係は工夫を重ねて、長い毛のブラシを立てるようにして下地をペチャペチャくっつけ、見事に仕上げました。ヘッドランプは、フェンダーの全面に固定され、カバーで隠されています。
目玉は黄色の装飾灯で、方向指示機は赤い剣型の腕がヒョイと横に出る形です。
最後の5台は、口を開けるように作りました。
そのために、太くて長い前歯、舌(エンジンカバー兼用)、上顎の内側など、外から見える部分の造作が必要になりますが、エンジンの点検整備には便利でした。

この宣伝カーは、1台ずつ手作りのため、まったく同じ形のものはありません。骨組みは同じでも、顔の皺が少し違ったり、臀部の凸凹が違ったりしたのです。

カバの宣伝カー 広島の町を走るカバの宣伝カー(クリックで拡大)

エピソード

第1号車の試運転の帰途、電車道の向かい側から飛び出してきた赤犬が、狂ったように 吠えかかってきたのです。
その騒ぎに気付いて車へ駆け寄ってきた警官の第一声は「こりゃなんだ?・・・」。
宣伝カーの試運転の旨を伝えると、「前照灯は?尾灯は?方向指示器は?」と矢継ぎ早の質問攻め。いつしか車の周りには人が寄ってくる・・・。
最後に運転免許証と臨時運行許可証を確認すると、穏やかな口調で 「上手く出来てるね。でも人だかりして危険だから、気を付けて。」と言って、笛をピッピッと吹いて、取り巻いた人々を退散させてくれました。
岡山トヨタへの納品は、いつも夜間に行っていたのです。 ※上記文書は、『軽自動車情報』平成11年4月号
(「続・日本のりもの史考」交通史研究家 齋藤俊彦氏)より抜粋・編集したものです。
写真提供:有村行夫氏